2010年12月28日火曜日

今日で仕事納め

天気快晴。
雲ひとつない気持ちのいい朝だ。


今日は大掃除を最後に仕事納めとなる。
今年も残業、休日出勤と沢山仕事したが会社経営状況は厳しいようだ。
来年はもっと厳しい年となるようで、トレーニング時間の確保が厳しくなりそうだ。


飲み会はパスしてジムに行く。
脚に負担がかかるトレーニングができないのでスタジオでヨガに参加する。
3ヵ月間は体幹を鍛えるヨガ、ピィラティスを積極的に実行する。

2010年12月27日月曜日

バイク練習

天気晴れ。
年内のお勤めも後2日である。
来年の仕事始めは5日からとなり、お正月休みは7日間ある。
昨年は重要な開発の仕事で、元旦1日のみしか休みがとれなかった。
今年は普通に休める。
やりたいことが沢山ある。
計画的にこなすのみ。

昨日は、久しぶりに大井埠頭のバイク練習に行った。
転倒事故から約2カ月ぶりである。
バイクでも膝の痛みがあり、
満足に走れない。
約20kmを時速25km以下で走った。

2010年12月24日金曜日

宮古島トライアスロン落選

宮古島トライアスロンは落選した。
来年、近場の大会で経験を積み、
再来年は万全の体制で望む。

ジムへ

天気快晴。
気持ち良い朝である。


昨日は、レンタルDVDの映画を2本見た。
『孤高のメス』と『沈まぬ太陽』
仕事が忙しくて、劇場上映を見逃した作品である。
久しぶりの休日でのんびり過ごせた。


今日は仕事を終えたらジムに行く。

2010年12月22日水曜日

仲間

昨日は久しぶりにジムに行った。
プールで約1000m泳いだ。
体が重く連続で100mも泳げない。25mを何度も繰り返した。
何度も繰り返しているうちに感覚が戻ってきた。

プールで、宮古島トライアスロン経験者の中○さんに会えた。
ジャグジーで貴重な体験談を頂いた。
モチベーションを高めてくれて感謝である。

更に、ロッカールームでアイアンマンの大○さんにも会えた。
『最近見かけないので何かあったのでは』と聞かれた。

バイク練習での転倒事故などを話したら、
『俺なんかあたこち怪我しているぞ』と言われてはげまされた。
『宮古島はあきらめていないんだな』とも。
いつもは口数が少ない大○さんに話し掛けられて嬉しかった。
(ロッカールームで、素っ裸な状態ではあったが)

さあ、また1からのスタートだ。

2010年12月21日火曜日

クリスマスプレゼント

宮古島トライアスロンの抽選が昨日行われた。
申し込み2700人に対して、1700が決定したとのこと。
インターネット申し込みの発表は24日である。
当たればクリスマスプレゼントとになる。


那覇マラソンが終わって、本格的なトレーニングが出来ていない。
今まだ、休養と地味トレーニングの日々である。
宮古島トライアスロンの申し込み資格を得る為の波崎トライアスロン、
この大会に向けての1週間練習メニューは、
早朝ジョギング6回、スイム3回、バイク1回、エアロバイク2回であった。

今の自分の状態はどうあれ、
やっぱりクリスマスプレゼントが欲しい。

2010年12月20日月曜日

クリスマスウィーク、そして年末

街はクリスマス模様で派手な装いである。
この時期は何かと忙しい。


今年もいろんなことがあった。
今年の反省、来年の予定、仕事でも個人的にも考えること多々あり。

2010年12月16日木曜日

車検

天気曇り。
ぐっすり眠れた。そして寝坊した。
昨夜、頂き物の日本酒を飲んだ。
美味しくて飲み過ぎてしまった。

私の車は4ナンバーで毎年車検だ。
車の車検は、自分で試験場に持ち込んで車検を通す。
不良部分があれば試験場近くの修理工場で直してもらい、再度車検を通せばよい。

早ければ1時間もあれば終わる。


明日はたまった代休を利用して車検を行う。
その後は、図書館で調べ物して、時間があれば好きな本を読みたい。

2010年12月15日水曜日

気持ちの良い朝風呂

朝と夜の2回風呂に入るのが習慣になった。
風呂に入り血行を良くして柔軟体操をする。
気持ち的にもリラックス出来てよい。
時間を忘れて出勤時間となり、たまにドタバタすることもあるが。


今朝の日の出は6時43分である。
そろそろ早くなる方向に転じると思うのだが?
今朝はウォーキング1kmとジョギング1kmのみ。
膝はまだ痛みあり。
日の出が早くなるにつれて、膝が回復することを願う。

2010年12月14日火曜日

今出来ること

朝から雨である。
朝風呂に入り地味トレーニングをした。


今日は久しぶりにジムに行く。
膝は順調ではないが、上半身なら鍛えられる。


今出来る事を少しずつこなすのみである。

2010年12月13日月曜日

また来年

天気曇り。
最高気温9℃と寒い1日になりそうだ。
そして午後からは雨との予報。


これまで忙しかった仕事も、土日休日出勤して、今日で一段落する。
一安心である。
代休を取って体のメンテナンスだ。


今朝、少し走ってみた。
1kmくらい走った辺りで、左膝の中に違和感があり、脹頸靱帯にかけて多少締め付けられるような痛みとなる。
歩くぶんには何も感じない。
ただの疲れだけなのかもしれない。


12月20日に宮古島トライアスロンの抽選結果が発表される。
来年4月が大会である。
来年に向けて少しずつ積み上げていく。

2010年12月12日日曜日

那覇マラソンから一週間

天気快晴。
北風が吹いて寒いが、気持ちのいい朝である。



那覇マラソンから一週間経った。
日常生活からかけ離れた体験は、
ものの見方考え方を変えてくれる。
そういう意味で、那覇マラソンは、いい経験であったと思える。


朝、ウォーキングはしても、
まだ1kmも走ることが出来ない状態である。

昨日、那覇マラソンレポートを書き上げて思ったことであるが、
来年どうするかをまだ決めていない。
姉夫婦、兄貴夫婦、叔父、空港関係者など、
みんなの力を借りて、認知症の親父を那覇マラソンに連れ出すという、
一つの目的は達成出来た。
しかし、2年前に、目標として掲げた4時間30分は達成出来ていない。


言い訳や今の状態など悪いことを考える前に、良いことをひとつでも多く考えよう。

*
*
*

来年また走ろう。

那覇マラソンレポ:後半

午後からは晴れて気温も上昇した。
30km地点で2本目の500mlペットボトルが空になった。
自販機を探しながら走るが、なかなか見つからない。

そう言えば、前大会時でも水補給が出来ず、
スポンジの水をすすった記憶がある。
ボランティアでのバナナ、塩、ミカンなど有り難いのだが、
今は水が欲しい。

アイシングスプレーを持った人も多く見かけた。
有難いことである。
走りながら常にこの臭いがあったと思っていたら、
臭いの原因は自分だったことに今気づいた。
走る前に膝を中心に塗っていたのだ。
これは結構効果的だった。


30km過ぎてやっと自販機を見つけて、3本目となるペットボトルを購入した。
冷たい水が体にしみわたり生き返る思いがした。
膝は問題ない。

姉から電話が入った。40km地点のジャスコ前に陣取ったとのこと。
さあ、もう少しだ。

35kmあたりだっただろうか、生バンド演奏のど迫力応援があり、
気持ち踊る、いい気分にさせられた。

応援ではたくさんの元気をもらえた。
子供エイサーだったり、鐘、太鼓など多種多様で楽しめる。
『応援有難う』
後残り5km、4km、3km、そして親父達が応援する残り2km地点で親父達を発見。
もうすぐゴールであること、終わったら空港に移動など、今後の予定など話してから再び走り出した。


●ガーン、体が動こうとしない。
止まったことで、体がもう走らなくていいと思ったのか全く言うことを聞かない。
これが一番辛く、長い2kmとなった。

やっとの思いで残り1km、モノレール通りを左折した。
大きな声で叫びながら走る人、ハイタッチの沿道からの応援、
気分的には最高な気分であったが脚は相変わらず言うことを聞かない。

ラストスパートする人々にどんどん抜かれながらトラックを半周してゴールした。
終わった。

膝の手術から一年、
フルマラソンを完走することが出来た。

2010年12月10日金曜日

那覇マラソンレポ:中間点まで

走るときは常に、携帯電話とペットボトルポーチを持っている。
今回は、500mlのペットボトルとパワージェル3つを携帯した。

サービスエリアの水分補給は利用しない。
10km地点でパワージェル1つを摂取した。
17km地点に達するまでにペットボトルは空になった。
ちょうど17km地点の親父達の応援を受けて、ついでにペットボトルを受け取る。
兄貴と連れは既に通過したとのこと。

ここから中間点の平和記念公園までは坂道が続く。
靴ズレが気になっていたので、靴ひもをきつく締め直す。
コースは道路中央よりに変更した。
子供たちとのハイタッチはできないが走りやすい。


坂道では歩くランナーが多くなっていた。
止まってストレッチをしている人も目についてきた。

膝は相変わらずであったが、
気持ち的にはスピードアップしたいのを抑えて走った。

気温は高くなるばかり。
中間点を通過。
走るランナーに52インチの地デジ宣伝のコスチューム?を担いでいる人ががいた。
この人完走出来るだろうか?
(走り終わった今でも気になっている。)

続く。

2010年12月9日木曜日

那覇マラソンレポ:前半

スタートのカウントダウンが、前方より徐々に大きくなり、
大きな歓声でスタートとなる。
しかし、列は動かない。しばらくして動き出した。

スタートラインを切ったのが8分遅れの9時8分であった。
大集団の移動は7分/kmで、5kmあたりから歩き出す人もあり、走りづらい。
このあたりから膝の痛み発生。これは想定内であり問題ない。
ただ、どこまでもつか爆弾を抱えていることには変わりない。
ペースを上げたい気持ちはあるが流れに任せて走る。

10kmを過ぎた辺りだろうか、前方からYMCAの曲が聞こえてきた。
前方の走る人も踊らされていたので、
私もYMCAを腕で描きながら走り抜けた。
走る人を踊らせる大会は那覇マラソンだけではないか。
子供達のハイタッチでの応援も多い。
元気をもらいながら走りつづけた。


姉からの電話で、17kmの具志頭三叉路付近で、
親父をはじめみんなで応援しているとの連絡が入った。


続く。

2010年12月8日水曜日

那覇マラソンレポートスタート前

前の日に大会会場近くのホテルグランビューに宿泊した。
目覚まし時計で5時50分起床。
外はまだ暗い。

6時15分朝食。
昨日、食べ過ぎたためにあまり食欲が無い。
それでもパン、牛乳、サラダ、雑炊、煮物などを食べた。
朝風呂に入り、身支度してチェックアウトしたのが7時50分。
モノレールにて大会会場まで移動した。

会場は既に沢山の人で埋めつくされていた。
荷物置き場まで移動するのに人の海をかき分けて進む有り様だ。

軽くストレッチして20分前にゼッケン番号位置に並ぶ。
さあもうすぐスタートだ。

続きはまた後で。

2010年12月7日火曜日

新たな目標

昨日、宮古島から帰ってきた。
那覇マラソンを走り、その日の内に宮古島に移動して、一泊した。

今朝は、何時も通りの時間に目が覚め、何時も通りに軽くストレッチして外に出た。
昨日まであった頭の痛みも無い。

体の状態をチェックするため、少し走ってみた。
まず右膝内側に痛みがあり、両脚大腿部、そして予想外の左膝にダメージを受けていることが分かった。
マラソン中に痛みがあった右足付け根は痛み無し。
この部分は多少スピードを上げないと表面化しないのかも。
走ることはすぐ止めてウォーキングに切り換えた。

明日からは、帰りの飛行機で書き上げた那覇マラソンレポートを記載する。

2010年12月5日日曜日

那覇マラソン

那覇マラソンは無事に終了した。
5時間2分。いまできる精一杯の力である。

ゴールしてから8時間、やっとベッドに落ち着いた。
とりあえず眠い。
寝る。

2010年12月4日土曜日

聖なる思い5

那覇に到着して5時間、ようやくホテルに落ち着いた。
一夜明ければ、待ったなしで那覇マラソを走る。
隣の部屋には両親、そしてその隣には兄貴が宿泊している。

続きを書く。
==========ここから
練習を重ねてきたランナーが42・195キロを走るための
エネルギーを蓄えてスタートラインに着く。
その場所で応援する事で元気になれると信じている。
親父には応援することで元気になってほしいと思う。

両親には、4人もの兄弟を残してくれて感謝している。
いつかちゃんとした形で感謝の気持ちを伝えたいと思っている。

明日からリアルな話題を綴る。

聖なる思い4

仕事を終え、羽田空港行きの電車に揺られながらの書き込みである。

続きを書く。


>>>>>>>>ここから
那覇マラソンは42・195キロのフルマラソンで、制限時間6時間15分である。

那覇市内を出発して、中間点の平和記念公園を通り、ふたたたび那覇市内に戻るコースである。
42・195キロはそれなりに練習をしなければ走りきれるものではない。
そこには日々の努力を重ねてきたランナー達がそれぞれの目標と思いをもって集う。


これから那覇行きの飛行機に乗る。
続きはまた後で

聖なる思い3

今朝は、昨日の土砂降りの雨が嘘のようないい天気ある。
久しぶりに6時前に目が覚めた。
ついに明日は那覇マラソンを走る日である。
今日は午前中仕事して、午後羽田から那覇に出発する。

朝から重い話であるが、那覇マラソンを走る前書き終えたいので、
昨日の続きを記載する。

========ここから
認知症を題材にした映画の結末は悲しい。
愛する人の顔さえも忘れてしまう記憶障害。
人が人として生きていく上での最低限の機能までも奪ってしまう。
親父が自分の事を忘れてしまったら、それを受け入れることが出来るだろうか?

最愛の人を亡くしたとき
『出来るだけのことを、してあげたことがせめてもの救いです』
の言葉が気になった。

離れて暮らす僕に出来ることは?
電話なら出来る。
たまに会いに行くことも出来る。
どうせ会いに行くならインパクトのあることを。
親父の記憶に強烈に残ることを。
そして元気にさせてあげられること。
スポーツは応援する人が元気をもらえる物である。
ちょうど兄貴が20年以上も那覇マラソンを走っている。
那覇マラソンは3万人ものランナーが走る、東京マラソンに次ぐ最大の市民マラソンだ。
先頭がスタートして最後尾がスタートするまでに20分もかかる。
沿道の応援もものすごい。
走る人、応援する人、そこには大きなパワーがある。
これだと思った。


この続きはまたあとで

2010年12月3日金曜日

聖なる思い2

両親が歳を重ね、体の衰えが見え始めた頃、
親父が認知症と知らされてショックを受けた。

おばあは102歳まで生きたが、お見舞いに行ったときのことは今でも強烈な印象として残っている。
お袋のことも、もちろん僕のことも覚えていない。


不安に思うことはまず調べることであり、本を呼んだり、インターネットで検索して情報収集を行った。認知症を題材にした映画もレンタルして何本も見た。(殆どが物悲しい)

認知症に対する知識が増えるにつれ、落ち着きとともに、自分に出来る事は何かを考えた。

先生にも相談した。
遠く離れて暮らす自分に何が出来るかと?

続きはまた後で。

2010年12月2日木曜日

聖なる思い

いつも通りの時間、いつもと変わらぬ目覚め。
厚手のカーテン越しでもまだ暗いのがわかる。
仕事、那覇マラソンなど今、気になっていることをまどろみの中で思い出す。
最近読んだ本に『床を離れるまでの時間は聖なる思いに心をこらす』と書いてあった。
仕事の事は聖なる思いなのだろうか?
この事については後で考える事にする。
那覇マラソンについては病気の親父への親孝行から始めた。
『天地療法』と言う言葉がある。
気候風土の変わったところで病気が軽減する。
この言葉がきっかけとなった。

時間がないので続きは後にする。

2010年12月1日水曜日

ゴールを目指して

天気曇り。
相変わらず仕事は残業続きである。
私の仕事はコンピューターのソフト作りである。
お客様に要望事項を確認して、完成イメージを明確にして、後は少しずつ作り上げていく。
走ることも同じ様に思えることがある。
ゴールをイメージして、それを目指して日々練習を積み重ねていく。

小説家でランナーの村上春樹さんも、走る事と仕事を関連して考えている。
小説を書き上げる行為は走りきることと同じで、体力、集中力が必要などなど・‥

那覇マラソまで後4日、ゴールした喜びをイメージして。
さあ、今日も元気に仕事だ。